2006年12月25日月曜日

Baduy族集落周辺探索

『Baduy族が架けた巨大吊り橋がある』と聞き、内Baduy族の男性に案内してもらいました。

『すぐそこだ。』ったハズの目的地までは、
一度山を降り、そしてまた登ります・・・

白いターバン&上着に紺色のズボンスタイルが
内Baduy族の"ユニフォーム"です。



『日本はどこにある?東か?西か?』
「いいえ、北です。」


『どうやったら行ける?』
「飛行機に乗らないと行けません。
おじさんは、乗り物に乗らないのですよね?」
『そうだなぁ・・・でもジャカルタには一週間かけて歩いて行くゾ!!』


そんな会話をしながら、約二時間ハイキングです。
とにかく歩くのが早い
ついて行けません。

途中、他の「外Baduy」集落を抜けます。

ドリアン休憩
紺色のターバンに上下黒の服装をした
「外Baduy」の男性達が丸太切りの仕事をしています。

丸太は、川の流れにまかせ下流へと運ばれていきます。
さぁ、目的地到着!!
見た目がクモの巣の様な橋です。

木のツルでできた立派な橋
歩いた甲斐がありました。 

2006年12月24日日曜日

Baduy族の村にホームステイ

文明を拒むBaduy族は「内Baduy」と「外Baduy」に別けられており、よりタブーに厳格な「内Baduy」の集落には外国人が足を踏み入れる事が許されていません。


こちらが滞在した「外Baduy」の集落
この先の森は「内Baduy」領域です。

川で水浴びをする子供たち
もちろん水道などありません。

泊めていただいたお宅
電気は使いません。

日の出とともに起き、夕日が沈めば寝る生活。

Baduyの女性はおしとやかで働き者でした。

機織りもします。

読み書きがタブーなBaduyには学校がありません。

2006年12月23日土曜日

Baduy族と会う

西ジャワ州Bantenの人里離れた山中には、原始的な生活を送るユニークな少数民族の集落が残っています。


どこへ行こうとも乗り物に乗ってはいけない。新しい文明モノ(電気・携帯電話・石鹸・プラスチック製品等)を使ってはならない。四本足の動物は食べてはいけない・・・
数々の”タブー”(=伝統的に守り続ける慣習に反する禁忌)を持つBaduy族。


インドネシア人の友人がメンバーとなっている秘境の旅サークルに参加させてもらい、電車に乗って2時間半、バス2時間、登山2時間。やっとの思いで辿り着いたBaduyの村をレポートします。


地図あり

目印?!あり

ここが集落への入り口です。

険しい道のり

すれ違うBaduy族の女性

やっと見えてきました

高床式の伝統家屋

タイムスリップしたかの様です。

2006年11月7日火曜日

貸し切りVilla

ジャカルタから約二時間、山の麓Puncakへ友人 総勢20人の大人数で行って来ました。


一軒まるごとVillaを貸し切ります。
まるで学生時代の合宿の様な気分でした。

2006年10月29日日曜日

ジャワのマヤ文明?!

ソロから車で約一時間半、Candi Sukuhへ行って来ました。


Lawu山の麓

ここが入り口です。

マヤ文明に似ていませんか?

こんなモノや

こんなモノや

あんなモノまで!!

王宮とジャワ伝統コスメ

ジャワの古都とも称される Solo (Surakartaへ行って来ました。


二つある王宮のうちの一つ
Kraton Mangkunegaran





おじゃましました〜
王宮見学の後は、街を散策します。


ジャワ伝統コスメのお店を見つけました。
お湯で溶かして顔にパック、乾いたら洗い流す。
左が美白、右がニキビ肌用です。

2006年10月28日土曜日

世界遺産を背に

ジョグジャカルタ近郊の遺跡と言えばBorobudurが有名ですが、Prambanan寺院群も同じく素晴らしい遺跡です。


馬がいました。

中部ジャワ地震の影響で傾き・・・

崩れてしまいました。とても残念です・・・

すぐ近くにある他のCandi(寺院)へ。
彼が護るのは・・・

Candi Sewu

迷路の様です。

日が沈めば
遺跡の裏にある屋外ステージで「Ramayana」を鑑賞。

憧れるほど魅力的な舞踊でした。

ディエン高原

ジョグジャカルタから車で約3時間、ディエン高原 (Dieng Plateau)行って来ました。


硫黄泉
遠くに見えるアルジュナ遺跡群







エメラルドグリーンに光る?!
ワルナ湖(Telaga Warna)